阿字観瞑想
【阿字観瞑想体験】
皆様 こんにちは。日本は非常に暑い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか?
私は最近、Threesというアプリを使って、最寄りのワークスペースカフェで過ごすことが増えました。人は少ないし、学生さんもあまりいないし、非常に涼しいので快適です。
勿論、実家の自室にも冷房はあるのですが、できるだけ使用したくないので、日中は外で過ごそうと色々と試したのですが、最近、図書館の有料スペース(1時間100円)も少し混んでいて、中にはオンラインで通話される方もいて、なかなか集中出来ず。
こちらで紹介されているワークスペースは一時間大体400円から500円で、一日1500円~2000円が上限のところがほとんどなので、長くいればいるほど元がとれます。ただ神奈川県内の店舗数がまだまだ少ないのが少し残念・・・。
勿論、毎日通えばたとえ上限1500円とはいえ費用はかさばるので、流石に毎日は無理。図書館との併用でなんとか乗り越えてはおりますが、来週は少し気温が下がるようですし、これからはなんとか実家でも作業ができることを期待したいところです。
ドイツへは7月の前半に戻る予定にはしていたのですが、どうやら現在(夏の休暇シーズンがピーク)ドイツの空港はどこも人出不足でとんでもないカオス状態のようで、正直、この時期に戻るのが良い決断かどうかは現段階でも分からず、まだ決めかねています。
とはいえ、日本にいても、こちらも8月に向け、電力も水も食料も不足してくるでしょうし、あまり実家には迷惑はかけたくもない・・・。お金を払えばすむことであればまだ良いのですが、自宅に水源でもない限り、ないものはない。どうにもできないことです。
さて、前置きが長くなりましたが、今日は高野山で体験した阿字観瞑想について書いていこうと思います。
阿字観瞑想とは密教の根本経典の一つである『大日経』において初出し、主に密教において説かれる瞑想法であり、日本では、平安時代の弘法大師空海によって伝えられたとするものを指す。
(中略)
阿字観は別名を阿字観ヨーガともいう。真言宗の事相では、大日如来を表す梵字が月輪の中、蓮華の上に描かれた軸を見つめて、姿勢と呼吸を整え瞑想する。元々は真言宗の僧侶が修行の方法として実践していたもので、真言寺院に伝えられていた。トレーニングの瞑想法として、同じく同法に「数息観」、「阿息観」、「月輪観」などがある。(Wikipediaより引用)
と、こんな感じで説明されていますが、私が恵光院で経験した阿字観瞑想は、呼吸に集中する数息観と梵字の阿の字をみながら、もしくはイメージしながら説明15分、そして15分位静かに瞑想を体感することでした。
(梵字の阿)
先にも書いたように、私は宿泊した恵光院でこの阿字観瞑想を体験させていただいたのですが、特別に何ということはなく、ヨガなどで行う普通の瞑想の導入と大した違いはありませんでした。
まずお尻の下に座布を敷き(基本は骨盤を立てるために使うものだと思うのですが、みてるとどっしりと上に座ってらっしゃる方が多いような・・・)、そして半跏趺坐で座るようにと、そこでは勧められました。簡単にいうと胡坐をかき、左足の上に右足をのせ、踵を会陰の方に着ける座り方です。(できれば結跏趺坐のほうがよいのでしょう・・・)
もし膝などが悪く、床にすわることが難しい方は椅子に座ってもO.Kですが、どの瞑想もそうですが、エネルギーを通すため、背筋はしっかり伸ばすこと。これは非常に重要です。
そして手の位置ですが、法界定印(ほっかいじょういん)といい、真言宗では左手を下、右手を上にして、両手の親指をぴったりくっつくかつかないような微妙な位置にして足の上に置くように言われました。
そして次に、呼吸。まずは呼吸に集中し、1から10まで数え、終わったらまた1に戻り、再び10までカウントするということを繰り返すようにとのこと。(数息観です)
その後はしばらく薄目(半眼)で、上の写真の阿の字をみながらカウントを続けるか(もしくは目線は少し前におくか)、半眼がしっくりこない場合は目を閉じて阿の字をイメージしながら呼吸をカウントし続けることを、暗くした部屋の中で15分程続けたでしょうか?
こんな感じで、ここでの阿字観瞑想体験の30分間はあっという間に終わってしまいました。
個人的にはもう少しで何か中心まで行けそうな感覚だったのですが、その手前で終了です。
ちなみに、こちらの数息観は場合によってマインドフルネスなどでも使われる呼吸瞑想法の一つです。(通常のマインドフルネスでは、あるがまま、呼吸はコントロールしないと指導したりもしますが・・・)
正直にいうと、この阿字観瞑想の真の目的、私もしっかりとは理解できてはいないのですが、どうやら阿字観にはいくつかの段階があり、私が体験したのは初心者向けの導入部のようです。もともと真言宗のそもそもの教えが『即身成仏』(体を持ったまま仏になること)であり、段階を飛ばし、早く悟りを得るための宗教であり、そのために、マントラや曼荼羅など、秘密の教義を説く宗教だと理解しています。私からみたら、タントラなどのそれと同じで、本来の意図は別にしても、神通力などの力を求めるクンダリーニヨガが好きな人が好みそうな教えだと思います。(クンダリーニヨガのプラクティスはあまり好きではありませんが、アルケミーを説く不思議感は実は私も好き・・・😝)
恐らく、ここでは宇宙との一体感、仏様と行者の一体を観想することだったり、煩悩を手放し、悟りを得ることが目的の瞑想なので、ストレス解消とか、良いアイデアを出したりというような目的の瞑想法ではありません。ただ主に呼吸の副効果としてだと思いますが、今回の瞑想の後は、非常に頭がすっきりし、クリアーになりました。ちなみに、今回、私の場合、阿の字を15分間みていても、あたりまえかもしれませんが、特に何も心境は変わりませんでした。(笑)
余談ですが、例えば、何か良い考えを出したい時や、考えをまとめたい時などには、私の場合、心地よいノイズと動きが必要なようで、そんな時は外に出て、緑の中をぐるぐる歩き続けるか(歩行瞑想)、波動が良く、人の雑音のみで音楽がかかっていない図書館やカフェなどで集中するか、もしくはモーツアルトの音楽を聴きながら作業を進めていると、良いアイデアが生まれ、不思議と考えがまとまりやすくなり(実は今もモーツアルトの曲をイヤフォンで聴いています)、こんな風に目的に応じて使い分けてます。
中にはお釈迦様のように、長い時間悟りを得る目的で瞑想を続ける方もいますが、正直、私は座って得られる瞑想にはあまり時間をかける意味はないと思っています。
私は人間は実体験なくしては、本当の悟りは得られずと考えます。
幾度との輪廻を通して、様々は経験をすること。これこそがこの地球に体をもって生まれてきた本来の目的。
だとすれば、悟りをえるためには、実際に行動し、経験した生きた知識、感覚に勝るものは無く、その上での瞑想であれば大いに意味が感じられると思います。
でも経験として知らないという状態で行う瞑想で得られるものは、その人の魂の器に大きく左右されると思われ、その感覚を身をもって知らないことは、その本来の意味を知りようがないのではと・・・。幾度マントラを唱えようが、何時間曼荼羅をみようが、身体を鍛えようが、そこから起こる感覚は味わえても、その解釈はまた別。私のようになんだこれ?で終わってしまうのがおち。
とにかく、結果的には魂力とバランスです。
とはいえ、こちらの数息観などの呼吸瞑想は、マインドフルネス(今ここ)には大変効果的。
常に不安や、心ここにあらずの状態の時、アイデアが煮詰まったときなどに、3分、5分、ゆっくり数を数えながら呼吸に集中することの効果、さらに脳に与えるリラックス効果は科学的にも証明されています。
実は先週末、私はマインドフルネスとカウンセリングに関するセミナーに参加したのですが、ここではマインドフルネス瞑想として次の4タイプの瞑想が紹介されていました。
①呼吸瞑想
②ボディスキャン瞑想
③慈悲の瞑想
④思考と観察の瞑想
こちらの方はまたいつか別の機会にブログ内で紹介して、
今日はとりあえず、高野山での阿字観瞑想体験についてのみで終わろうと思います。
今日から7月ですね。夏至を境に一気に目に見えるような形で暑く(熱く)なり出したこの世の中!
私は暑さのせいか、居場所のせいか、それともただの言い訳なのか、どうも本格的スイッチが入りきらない状態の自分にイライラしていますが、『勝ちに行く!』と決めた2022年もすでに半分が過ぎました。
これから一気に⤴と思います。その為にはどこにいて、何から手を付けるべきか、兎に角、そこからなのかもしれません。
それでは皆様 今日はこれで。
これからますます暑さも本番。このブログを読んでくださる皆様が今の状況に負けず、強く、逞しく、なんとかなる!の精神で今を力強く乗り越えていかれることを心から祈っております。
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